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完璧主義に関する現時点での良い情報らしきもの

大阪市北区 天神橋筋商店街のギター・ウクレレ教室

K9 Music School🎸(ケーナイン ミュージックスクール)です。

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

教育に関するデータの中で「完璧主義」というものは基本的に評判は良くない、

というのは偉い専門家の先生達の中でも合意できる話ではないかと思います。

 

 

「完璧主義」の定義自体にとても幅があり、少なからずそれを実行してしまっているらしき

人にもおおよそ自覚症状はない、ということが多いような気もします。

 

 

 

今回は日頃からレベルは様々ですが「完璧主義」的思考に出会うことがそこそこあり、

リクエストもあったので、ちょっと軽めにまとめて書いてみようと思いました。

 

 

 

 

初めてこの言葉を聞いたのはいつだったでしょう?

覚えてませんが、その時は恐らくポジティブな印象でした。

 

 

いい意味での文脈で使われたものを見聞きしたのだろうと思います。

 

 

 

また戦後の日本は基本的にそのように、

 

 

 

「努力してひたすら上を目指し頑張るのだ!」

「あきらめないことが大事!」

 

 

といったことが美徳として崇め奉られてきたように感じます。

世代や情報量的にも理解できます。

 

 

 

勿論、それは重要で努力や、やり抜く力(G)、いまの自分を超えていく、みたいなことは大切ですが、

個々の性格、すなわち遺伝子的な設計図の個人差や、性差、年齢、

個々の現時点までの生育環境や現在の心身の状態は無視した考え方です。

 

 

 

「努力してひたすら上を目指し頑張るのだ!」

「あきらめないことが大事!」

 

にはメリットとデメリットが存在し、

 

 

 

「努力してひたすら上を目指し頑張らなくてもオッケー!」

「あきらめることが大事!」

 

 

 

にもメリットとデメリットが存在する、ということですよね。

 

 

 

あらゆる文脈があるように思います。

 

 

何にしても長期的にみたパフォーマンスの向上を期待することが大事です。

 

 

 

何気なく発してしまう自分の言葉には、できる範囲で好奇心を失わず、

適切な客観性を持ちたいものです。

 

 

 

幼い頃の基本はひとまずその子の存在の全肯定だろうと思います。

 

 

 

その上で、ただのなんでも許されると思っている何も頑張らない極端な自己愛人間にならないように、

何かを行うときの努力の重要性や自分や他人の内部や外部を推し量る力、

その他色々教わっていくというか、しつけられていくというか、

教育者の個性のグラデーションや生育環境が反映されていく、認知能力、非認知能力...そんな感じかなと思います。

 

 

具体的にどのような言動を持ってそれを行なっていくのか?が重要ですね。

 

 

 

 

脳内の回路がまだ複雑化していない、幼い頃にその存在全肯定レベルが低い状態で、

何か大人の感情をわかりやすく満たす行為をした時だけ認証されるような条件付きの愛情を与えられ、

ひたすらに結果重視で勉強や習い事の評価を下されると、衣食住は高いレベルで満たされていたとしても、

まずい完璧主義が心の中に刻まれていきます。

 

 

 

その「完璧主義」は「自己批判」とセットで刻み込まれていきます。

 

 

 

自分の存在を自分で認められるように成長できていると、何かに向かう時、適切に自分を鼓舞し、努力できて、

そのプロセスを意味のあるものとして捉えられ、結果がどうであれ適切に自分を認められます。

適切に自分の可能性を信じられるんですね。勿論100%それを実践出来ている親子がいる訳ではないと思いますが。

 

 

 

教育する側も幼い頃から育てた「完璧主義」がいるんですね。

レベルは様々だと思いますが。

親自身の親の教育を無意識に内在化してしまっているという感覚が大きいと思います。

 

 

 

「こうするべきだ!」という親側の姿勢の幅というのは答えはないですが、

本当によく子供の状況を観察した方が良いに越したことはないと言えそうです。

 

 

 

勿論、完璧主義的にやって上手くいったという経験が教育者側の思いを強化していて、一概に間違いとは

言い難い部分もあると思いますが、

あらゆる文脈において親自身の思考の妥当性を俯瞰的に精査する意識は強くあった方がいいでしょう。

 

 

 

親の完璧主義と子供の完璧主義は仮によく似たレベルのものでも、

親自身が感じる「自己批判」のレベルと子供が感じる「自己批判」のレベルは大きく違う場合があるようにも感じます。

 

 

子供は親に嫌われると終わりという恐怖が無意識にあるというのは言えそうなので、

無理にでも「自己批判」を反芻し、親の期待する姿であろうとします。

そして大人になってからよくわからない葛藤に苛まれたりしやすいというのはデータ的には言えます。

 

勿論それにも幅があり、適切な量の完璧主義であったり、自己批判ではなく、

適切な行動を導く自己省察なら良いのですが。

 

 

「完璧主義」と「自己批判」のセットが心に住み着き、強化し続けると、大きくなってからも

あらゆる面で意思決定が苦手になり優柔不断になったり、先延ばしをしたり、

どこまでやってもつきまとう終わりのない自分の不甲斐なさという幻の物語に苦しみます。

勿論こちらも100%それに陥ってしまっている親子がいる訳でもないと思いますが。

 

 

 

成し遂げることのレベルによっては「完璧主義」が上手く作用することもあるようです。

また、勤勉性といった意味でも悪い側面ばかりではないというのも言えるでしょう。

 

 

 

しかし、やはり燃え尽き症候群になったり、ストレスをためやすい性格になったり、精神を病みやすい

という面の方が大きいと言えそうです→P1

 

 

 

一生追いつけない理想的な自分が仕上がり、その背中ばかりを追ってしまい、

自分をダメ人間だと根拠なく思い込みやすくなってしまうんですね。

レベルや強化し続けている年月の差等は様々ですが。

 

 

 

とにかく最近ではSNS等の影響もあり、「比較」という人にとってどうしようもないものが

大きくなってきています。

 

 

それに伴い、このような完璧主義を毎日せっせと育ててしまっている人がとても増えているようです→P2

 

 

 

それなりの人数の方々を見てきてた実感としては、やはり幼少の時に長時間そのような環境に

いてしまって「完璧主義」と「自己批判」を結構育ててしまった人はなかなか生き辛くなってしまっている印象です。

 

 

 

やはり何よりまずは存在を肯定する、そして結果ではなくあくまでプロセスを褒める、

その上で必要な努力のあり方を...というようなことかなと思います。

 

 

 

過干渉な大人の言葉一つで「自分のやっていることは十分ではないのだ!」

と過剰に考えてしまうことによって自分を責めがちな人間に育ってしまうことも確認されています→P3

 

その逆パターンもありきで無視されすぎるのも問題で本当に良いバランスとは難しいものです。

 

 

また過剰に他人の期待に応えようとすると死ぬ可能性すらあるという恐ろしい話もあります→P4

 

 

 

 

 

結構ネガティブな面を強調した感じですが、勿論良い文脈もありえる訳ではあります。

しかし、現時点ではよくない面の方が多いと言えそうです。

 

 

なんしか、自己批判とくっつくとよくないと言えそうですね。

 

 

やはり、しんどくならなず、良い気分で向上していくためのバイブル的には→2.3.4あたりがいいですね

 

 

一度大きめの「完璧主義」と「自己批判」が身についてしまった人は長い目で自分を許せる考えを育てていくのがいい方法かなと

思います→1

 

やはり、長期的にみて生産性をあげる、ということが重要だと感じます。

 

 

K9 Y.Y