大阪市北区 天神橋筋商店街のギター・ウクレレ教室
K9 Music School🎸(ケーナイン ミュージックスクール)です。
ご覧いただきありがとうございます。
楽器って音を出すためのものですか??
自分にとって当たり前すぎることを改めて考えるって難しいことですね。
ここを少し深掘りすると、
「なぜあの人はあんな風に演奏できるんだろう?」という疑問に対しての根本的な答えらしきものが見えてきます。
楽器は当然、音を出そうと思って手に取ります。
食べ物を買おうと思ってスーパーに行きますし、受験等のために勉強の理解を深めようと思って塾に行きますし、
ギターが上手くなりたいからギター教室に通います。
行動の元には目的がありますし、目的の元にも行動があります。
もう少し説明させていただくと、
二人の子供がいます。そのうちの一人はボール投げが好きです。
毎日近所の壁にボールをぶつけて返ってきたボールをまた投げて...といった風に遊んでいるうちに
ぶつける壁の部分によって、ぶつけた時に出る音に多少の違いがあることに気付き、初めはボール投げ自体が楽しかったのが
次第にその音の違いも楽しむようになりました。
もう一人の子供は元々音に対して敏感な子で、ピアノの音やギターの音が好きで自分でも演奏してその音を楽しんでいます。
この二人の差は身体運動が先で音を捉えているか、音が先で身体運動があるか、ということかなと思います。
音の発生というのが先にあった時、
要するに体を動かしたいのか、音を聞きたいのか?どちらの要素の方が大きいのか?ということです。
その辺りには進化的なものや地域性があるのかもしれませんし、後天的に強化されてきた行動、考え方もあるでしょう。
楽器の演奏方法のイメージがまだ定着していない子供なんかはギターを楽器として見ません。
自分の知っているものに見立てたりすることが多いです。
滑り台みたいにしてネックに何かを転がして遊んだり...そんな風に初めの段階でどう捉えているのか?
それによってその先は変わります。
自分の感覚とは全く別の感覚があるのだと感じることはとても大事ですね。
根本的に「音を出すんだ!」と思ってしまう人が楽器を演奏するのか、
「身体運動をするんだ!」と思ってしまう人が演奏するのか?
それによって出来上がるものは別かもしれないということです。
僕らはどっちかというと「音を出すんだ!」と思ってしまう人が多いように感じます。
価値判断できる問題ではないですね。
上手くその幅を配合し、時と場所によって使い分けて、その他の変数も自分のスタイルに取り入れて演奏できるのが
ある程度楽器に慣れた演奏者にとっては楽しめる要素かなと思います。
K9 Y.Y