大阪市北区 天神橋筋商店街のギター・ウクレレ教室
K9 Music School🎸(ケーナイン ミュージックスクール)です。
ご覧いただきありがとうございます。
母親が書道に造詣が深かったため、小学校の時の書き初めなんかは
書くコツなんかを教えてくれました。
最近も小学生の子が今日は学校で書き初めをしたよーとか教えてくれました。
教室の後ろにはみんなの書き初めが貼り出してあるというのは日本の小学校の教室の
典型的な風景ですよね。
考えてみると、あの毛筆というものはもうなんというか芸術的なのかもしれないですね。
機能だけを考えると文字なんかというのは最終的に伝わればいいのですから
曲線や直線が適切な形になってたらそれでいいといえば良いわけです。
しかし、墨をつけてベタッとはじめに筆を置いて右方向に伸ばして、とめて、はらって、太いところ細いところ...みたいに
明らかにペンで何かを書いている時とは違った世界がそこにはあるもんだと感じたものです。
基本的に現在僕らが耳にする音楽は海外発祥の音楽を基調としたものです。
教育現場でも流行っているtop40でもそうです。
そのような音楽を僕らはとても好きなわけですが、そのような音楽は立体的であることが
良しとされるようなところがあるように感じます。
その立体感というのは楽器一つに対しての立体感というよりも全体のバランスとしての立体感かなと
思ったりします。もちろん単体の楽器での立体感を全く追求しないわけではないですが。
歌、ドラム、ベース、ギター、ピアノ...いろんな楽器が上下左右前後どこにいるのか?
作り手ならそれをいかに聞き手が気持ちよく感じるか、ジャンルによって、伝えたい音によって...
色々考えるわけです。ちょうど遠近法や影の描写にこだわるタイプの西洋の絵画のように。
しかし、毛筆の場合はどこか個人技的要素を感じます。
前述の西洋画のようなたくさんの要素の凹凸はあまり感じないけれど、一つの要素にどれだけ立体感をつけるのか?
その筆で書かれるものってとても単体の立体感を感じます。
ここから感じられるものというのは結局、日本の音楽と結びつけて考えられるのかもしれません。
周りとの調和を考えつつも単体の楽器でも立体感によりこだわったものなのかもしれないと感じます。
音楽というものは本来、それ一つの芸術ではなく、その地域の総合的な文化の中の一つであり、
踊りや書くこと、建築や彫刻を見てみても全体的にみた時の共通点があったりするものなのだろうと
思います。
そう考えると、書道のような要素のある曲を作ったら日本的なのかもなーとか考えたりします。
そうするにはどのような演奏?音?と考えると自分の作りたい音楽が見えてくるような気がします。
K9 Y.Y