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記載不可能音楽

大阪市北区 天神橋筋商店街のギター・ウクレレ教室

K9 Music School🎸(ケーナイン ミュージックスクール)です。

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

記載不可能な音楽があります。

 

というか、極論音楽なんかいうものは楽譜におこすことはできたとしても

全てをそこに記すことは難しいわけで、だからこそ作曲者と演奏者が同じ場合とそうじゃない場合が

あるのかもしれません。

 

 

何らかの文章でもこれは同じで、その人の節回しや間の取り方などを記載するのは

難しく、聞くしかないという部分もあります。

 

日本の伝統音楽の面白い部分っていうのはそういったところかもしれません。

 

西洋の音楽では様々な記号が使われます。

f,p,mf,mp,などです。

 

フォルテとかメゾフォルテとかですね。

 

強く、とかやや強く...とか色々あります。

これらの音楽も作曲家としては本当はもっと細かな表現がしたかったのですが、

現在ある記号で示すしかない、というのはみんな思うところかもしれません。

 

 

 

言葉でも、本当に表現したい色は青にほんの少し緑が入った色という場合、適切な言葉がなく、

仕方なく青って書くかもしれないですし。

 

もちろん西洋の音楽と日本やアジアの音楽と2極化して考えるのは極端ですが、

日本の音楽の方がこのあたりの強弱の表現を譜面上で表現するには

無理があるレベルというのが高いのではと言えそうな気がします。

 

 

 

声明や清元、常盤津なんかを聞くと確かになーと感じます。

 

昔テレビで日本語的な表現にこだわった山田耕筰が作ったからたちの花の楽譜にものすごく

細かい表現を書き込んでいた、というのを見たことがあり、それを美空ひばりさんが歌った、というのを

聞いたことがありますが、それも似た部分があると感じます。

 

 

藤圭子さんなんかもそうかもしれませんね。

世代ではないですが宇多田ヒカルさんのお母さんということで知っています。

とても素晴らしい歌手で今では考えられない記録をお持ちで綺麗な人ですね。

 

 

まぁ、日本的な感覚っていうのはバッハみたいなメロディの美しさみたいなんとは違うところに

美しさを感じるのかもしれないというのは思います。

音楽的にどこに重点を置きたいかといったところかなと思います。

 

K9 Y.Y