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知の呪縛。上達への転機 Kさんの場合。

大阪市北区 天神橋筋商店街のギター・ウクレレ教室

K9 Music School🎸(ケーナイン ミュージックスクール)です。

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

僕は今でも呪縛に苛まれることがあります。

それは「知の呪縛」と呼ばれるものです。

 

 

教える人はこれに気をつけないとまずいことになることが多いです。

カリスマ講師なら大丈夫ですが...w。

 

 

 

昔、Kさんという生徒さんがいらっしゃいました。

基本的にその方のやりたい曲を練習していました。

 

曲といっても耳につきやすい部分とそうでない部分など

要は美味しい部分とそうでないと感じる部分があります。

 

そうでない箇所は退屈なものです。

音楽的には重要であっても、努力するに値するものとわかっていても、

しんどいものはしんどいわけでそこに執着しすぎると練習は退屈に感じ始めてしまいます。

 

 

しんどい箇所の習得はいろんな角度からそれを捉える必要がありますが、何にしても

昔の僕はそれを退屈に感じさせてしまっていた時があったのだと感じます。

 

Kさんも正にそうしてしまっていたように思います。

課題が退屈なものになってしまっていました。

しかし、ある転機を境に見事に目覚ましい上達を遂げられました。

 

 

 

少しそれますが、

子供の生徒さんは

 

「今日はハルトくんが給食をこぼした..」とか言ってくれます。

 

僕はハルトくんがどんな子かは知りませんが。

 

 

 

また、ギターのコード伴奏というのは当然ながらその曲の節目節目で

その時々に合うコード(和音)を弾いていくのが一般的です。

 

 

大体の場合、コード伴奏だけでは何の曲かわからないことが多いです。

(独特な進行ですぐわかるものももちろんありますが。)

 

知っている曲ならば、その曲のメロディを弾いたら一発で何の曲かわかりますが

コード進行だけでは同じようなものも多く、意外と全くわからなかったりします。

 

でも何の曲かわかりながらコード進行を聞いたり弾いたりしたら、

もうその曲にしか聞こえなくなってきます。

 

これらが「知の呪縛」です。

 

 

子供の生徒さんの中のハルトくんと、僕の中のハルトくんの量は

全く違うわけです。

 

何の曲か知っていてコード伴奏を聞いている人の感覚と

何の曲か知らないでコード伴奏を聞いている人の感覚は全く違います。

 

 

要はハルトくんや曲を知っている人は、それらを知らない人の感覚を間違って見積もりやすいということです。

この間違った見積もりレベルが高い人って大人でもいますよね。

音楽講師でもこういったタイプの人を以前はよく見かけました。

 

自分はそんなことはないと考える人ほど危ないという研究結果も多く存在します。

気をつけたいと思います。

 

自分の脳内にある楽しいという感覚は隣の人の楽しいという感覚とは全く別です。

それを意識して思考した方がより相手に共感できることは間違いないのでは

と思います。

 

もちろん同じぐらいの量の時もありますけどね。

 

大学の時の教授のプライベートレッスンは基本的にその人の自由にやっている感じの人が多かったです。

まぁ当然といえばそうですが...。その人の感覚が知りたいときも多く存在します。

 

「知の呪縛」はポジティブに働く時とネガティブに働く時があるんですね。

 

 

Kさんに話を戻すと、

お互いがお互いの状態に気付いた時にレッスンは好転しました。

 

Kさんにちょうど良い処方箋があるわけです。

それは多くの成績の良いデータとKさんという方を知れたから導き出されるものです。

 

まだまだこの呪縛を感じる瞬間は多いです。

日々精進ですねー

 

参考文献

参考文献

K9 music school Y.Y