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音楽が不合理な理由。

大阪市北区 天神橋筋商店街のギター・ウクレレ教室

K9 Music School🎸(ケーナイン ミュージックスクール)です。

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

芸術って不合理なんでしょうか?

 

大きい会社の楽曲コンペなんかに応募していた時期がありました。

ざっくりとしたイメージを伝えられたりします。

 

「夏」「疾走感」「爽やか」とか。

 

大きな組織になると色んな支部があって地域ごとに

曲の元を集める人がいたりします。

 

タイミングよくそんな人と話ができるようなことがあっても

だいたい言われるのは

 

「こちらの望む形とちょっと違う」というようなことです。

 

 

また、僕が作ったものが不特定多数の人に聞いてもらえるという機会も

今までありました。

 

 

僕は精一杯夏っぽいイメージで作ったものだったとしても、聞いてくれた人からは

 

 

「すごい冬っぽくていい感じ」とか言われます。

 

 

要するに隣の人とはびっくりするぐらい考えていることが違うんですね。

自分がとても大事だと思ってることでも隣の人には全く響きません。

 

 

しかも自分がとても大事だと思っていることでも一時的だったり、視野狭窄だったり、

実はそんな大したことでもないのに勝手に大事だと思い込んでいたり...

 

 

好きな人に言われたことだったり、信頼してる人に言われたことだったり、

それらしいウェブサイトに載っていたり...という理由だけで大した判断力を使わずに

勝手に自分の信念みたいになってしまっていることは意外と多かったりします。

 

 

これはいい音楽だ!という情報があって聴く場合と

これはしょうもない音楽だ!という情報があって聴く場合では同じ音楽を聞いたとしても

価値が変わるわけです。その音楽自体の本質は同じなのに。

 

 

お味噌汁はワイングラスで飲みたくないですしね...。

同じものとは思えない味になります。

 

 

戦争でフィリピンに行っていた僕の祖父は現地で腹痛を訴える子供に

腹痛の薬だと言ってある粉を渡したら翌日その子供は腹痛が治り、礼を言いに来たと言っていました。

オチとしてはその粉とは実は歯磨き粉だったのです。

祖父もちょっとキツめの悪戯をしたものです 笑

 

 

完全にプラセボというやつです。

祖父もそれをわかっていたのかもしれないですね..。

 

まぁ、音楽も言ってしまえばそういう点が非常に多いわけですね。

そういうもんですよね。それこそがよさかもしれないです。

 

もちろん極端に聞きにくかったり、気持ち悪い歌詞だったりするのは別ですが、

 

「あの幸せな時に聞いていた」「好きな人が好きだった」「ものすごく自分の気持ちにぴったり」

 

 

人は作品と自分との因果関係を作りたがります。

実際の作品の持つ純粋な価値?自体が謎ではありますが、そういったものとは別に色々価値が出来上がります。

売れる曲というのはその価値を人々が作り易いようにできているわけです。

まぁ、それが素晴らしいのかもしれませんが。

 

 

受け手が決める要素、作り手が決める要素、その幅は大きいですね。

要はプラスの要因が生まれればいいということです。

 

 

楽器をやることによって音楽に対する視点が広がるのは間違いないと言えそうです。

 

参考文献1

参考文献2

Y.Y